戦略の目的
武蔵野を再現するアゼターフ(左050704、右050720撮影)
2008年11月15日、私たちは「もみじサミット」を開催した。欧米7カ国から65人、国内から25人、総勢90人が参加した。
もちろん海外の人たちは、もみじに関心がある人たちであったが、意外というか、やっぱりというか、福島県の里山の植生におおきな関心をもっていただいた。
ボーランド植物園園長のベネチェック博士やアメリカ合衆国立樹木園主任研究員のオルソン博士などは、失礼ながら脱兎のように、あるいは山猿のように、林の中に入っていって、時間を惜しみながら、植物を観察した。
もみじサミット(2008年11月15日、青生野ガーデン倶楽部)
海外の植物研究者をも魅了するように、日本の植生は種類が豊かで、私たち日本人は少なくとも1万年前の縄文時代から植物と関わって独自の文化を形成してきた。
以下の歌や報告記は、万葉時代から江戸時代まで、日本人が植物を愛し、生活の一部に取り入れた生活を送っていたことを示している。
天平勝宝六年(754) 「八千草に 草木を植ゑて 時ごとに 咲かむ 花を見つつ 偲はな」 さまざまに 草木を植えて 時節ごとに咲く花を 見て楽しもう 大伴家持 『万葉集』 巻 第20
野の花を採取して庭にうえた「前栽」を伝える毛越寺庭園(岩手県、平安時代末期)
天正十三年(1585) 「われわれは、庭に果物のなる木を植える。日本人は、その庭にただ花を咲かせるだけの木を植えることを、むしろよろこぶ」 ルイス・フロイス(信長の時代の宣教師)『ヨーロッパ文化と日本文化』
万延元年(1860) 「もしも花を愛する国民性が人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べるとずっと優って見える」 ロバート・フォーチュン(イギリスの園芸植物家)『幕末日本探訪記』
20世紀最高の歴史家とされるブローデルは、「文明とは、空間的にまとまり、時間的に継続されてきたもの」と定義している。
日本人は、自然と関わる生活様式=文化を築き、文字で確認できるのは1100年前であるが、それよりもはるかに遡る縄文時代からその文化を蓄積して、「緑の文明」を形成してきた。
緑の文明は、首都である江戸で結実し、江戸は当時としては世界に冠たる庭園都市であったと評価されている。
ところが現在の首都東京は、開発と自然とのバランスを欠いて、庭園都市としての面影はない。
緑の文明首都戦略の目的は、東京の再生を、単に緑色に染める「緑化」ではなく、豊かな自然と人間との関わり、すなわち文明史の観点から考察し、人間性を回復するための自然再生につなげる、ことである。