房総半島館山湾の海岸、対岸は三浦半島(2007年4月28日)
館山市には、漁労生活関係の遺跡が多く知られています。
鉈切洞窟遺跡は、今から4000年前の縄文時代後期初頭を中心とする遺跡で、現在は海神を祭る神社の境内となっています。
鉈切洞窟遺跡からは、館山湾の岩礁で採取されるアワビやサザエなどの貝類の他に、マダイやマグロなど外洋性の魚の骨が出土していることから、縄文時代においても船を使った広域の漁労活動があったものと推定されています。
船といえば、同じ館山市の大寺山洞窟遺跡は、古墳時代(5世紀前半〜6世紀後半)には墓として使用され、人骨や副葬品を納めた12艘以上の木船が発見されました。船葬墓というのは日本では大変めずらしいようです。短甲という武具が出土しているので、被葬者はこの地方の有力者であったと推定されています。 船葬墓に埋葬されていたことから、この地域の有力者は、コメなどの陸の産物よりも海の生業を経済や権威の基盤にしていたものと考えられます。そしてこのことは、おそらく近世に到るまで変わらなかったものと推定されます。