房総半島館山湾から望む富士山(2007年4月28日) 富士山が小さいので、写真をクリックしてアップでご覧ください。
富士山は日本の宝です。富士山を望むことができる景観の再生が、東京湾には必要だと思います。
以下に、幕末~明治にかけて日本を訪れた西洋人の富士山評価をお伝えします。
1853年、三浦半島浦賀沖に入った黒船ペリー提督は、軍人らしく感情を抑えた文章で、「艦隊が浦賀沖に投錨する直前、靄(もや)がいくらか晴れ、富士山がはっきり見えるようになった」と報告しています(ペリー提督日本遠征記)。
幕末のイギリス総領事オールコックは、1860(万延元年)、外国人としては初めて富士山に登り、測量もしました。オールコックの「大君の都」によって、欧米の人々にとって、富士山は広く知られ、憧れの名峰となりました。
1878年(明治11年)、上海から航路で江戸湾に入ったイギリスの女性探検家イザベラ・バードは、江戸湾洋上から念願の富士山を見た時のことを、次のように記述しています。 「甲板では、しきりに富士山を賛美する声がするので、富士山はどこかと長い間探してみたが、どこにも見えなかった。地上ではなく、ふと天上を見上げると、思いもかけぬ遠くの空高く、巨大な円錐の山を見た」(「日本奥地探検紀行」)