浜離宮庭園

hama-5.jpghama-6.jpg左:海水取水口、右:鴨場遺構

江戸は、湾に面し海運も盛んであったことから、海洋都市でした。また市中においては300近い大名の屋敷(複数ある)や寺社だけでなく、町人も財力に合わせて植木や観葉植物を楽しみ、一説には江戸の緑比率は40パーセントであったとされることから、庭園都市でもあったと評価されています。

海洋庭園都市「江戸」を象徴するのが、「浜御殿(御所)」です。現在は浜離宮庭園と呼ばれています。

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浜御殿は、将軍家の別荘でした。火災の際の、避難所という性格ももっていました。なにしろ、明暦の大火では、江戸城は天守閣、本丸など主要施設が延焼し、かろうじて西の丸が残り、そこに将軍が避難したことから、将軍も火災の恐ろしさを身をもって感じていました。

浜御殿の庭園は潮入り式です。潮の干満を楽しむという、雄大な仕掛けです。園内には鴨場があり、富士山、あるいは逆に内湾の景観を楽しむ展望台があります。

内湾との池泉との境には黒松が植栽されて、潮風を防いでいます。池泉の岸には、本来潮風に弱いイロハモミジが元気に生育してるので、池泉は激しい波風が立たないように静水化していると考えられます。

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hama-7.jpg池泉のイロハモミジ

幕末の浜御殿敷地内には、外国人接待所としの石造洋館の「延遼館」が作られ、幕末〜明治にかけての、迎賓館としての役割を果たしました。

さて現在の浜離宮の池泉には、海水を引き込んでいますが、真水と混じった汽水となっています。池泉には、マハゼ、チチブ、ボラ、ビリンゴ、マルタウグイ、ユビナガスジエビなど汽水域の魚が生息し、独自の生態系を形成しています。

浜離宮の潮入り式庭園や汽水域の生態系は、現在の東京湾の開発計画において、文化的にも環境的にも、再評価されるべきであると私は考えます。