江戸の潮入り名園:浴恩園

sadanobu-1.jpgsadanobu-2.jpg定信自画像、右は顔を自ら描き全体は狩野派の画人に描かせた

写真は、白河藩主松平定信です。左は30代、右は50代、いずれも本人が描いた自画像とされています。加齢を考えても、目元、鼻、顎の輪郭など、よく似ています。

定信は、8代将軍徳川吉宗の孫です。筆頭老中として、寛政の改革を進めました。また老中在任中は、ロシアが北海道に来航したために、欧米列強に備えて、海防の策を練りました。

定信は卓越した政治家でありながらも、当代一流の文化人でもありました。また祖父吉宗の思想である「四民享楽」を受け継ぎ、白河の地に、日本で最初の公園といわれる「南湖」を、1801年に造営しました。

harukaze.jpgakikaze.jpg浴恩園:左は春風の池、右は秋風の池

定信は、家督を譲ってからは、江戸で晩年を過ごしました。今の築地市場にあった白河藩下屋敷の浴恩園は、寛政5・6年(1793・94)頃造園されたとされています。定信はここで、文政12年(1829)72歳で没するまで過ごしたといわれています。

浴恩園は、潮入りの名園です。池は桜を主体とした春風とカエデを主体とした秋風に分かれます。

tigusa.jpg 千草の園

定信は、浴恩園内に「千草の園」をつくりました。桜や牡丹などの品種物のコレクションは、江戸時代に頂点に達した園芸文化を集大成したものです。