隈健吾 「ジェフリー・バウァー庭の中の孤独な人」(『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』トンボの本』)
「時代は建築の時代から、庭の時代へ転換している。20世紀から、21世紀へという転換の本質は、建築が終わって、庭が始まったことである」。
「建築自体が価値を生み出すことはない。(中略)価値を生み出すのは、土地であり、大地そのもである」
転換のきっかけを作ったのは、アメリカの建築家、フィリップ・ジョンソンである。フィリップ・ジョンソン自邸ガラスの家(1949)
ファンズワース邸(ミース・フォン・デル・ローエ、1951年竣工)。
「ジョンソンはミースを崇拝し、(中略)ミース建築を「庭園化」した」。
「20世紀のモダニズム建築の本質は、ルネサンス的な数学であり、「建築主義」である」。
「建築という枠組みからすれば、バウァの建築は、庭の中に散らばった東屋の集合体であり、どうしようもない雑音にすぎない。しかし雑音だからこそ、それは建築という、それ自体が重く、堅苦しい制度に対する、最強の批判たり得ているのである」。
レッド・クリフス(1998 『熱帯建築』) バワの最後の作品
イナ邸(1960年竣工 コロンボ)。中庭と居間の境界(壁)がない。
「ジェフリーは建築よりもむしろランドスケープに優れた才能がある」(建築パートナーのウルリック談 『解読 ジェフリー・バワの建築』岩本弘光 PP67)
バワ自身の言葉では「敷地は簡潔な考えに沿ったデザインを最も力強く与えてくれる。私は敷地を見ることなしに設計することはできない」「それらの建物の美しさ、庭とランドスケープ(中略)心に残る理解、現在の要求に役立つ方法は、敷地における建物の正確な位置、つまり、風景の切り取りと視線の強調、あるいは解放・・・・・」(同書pp66~67)。
バワが週末を過ごした庭園Lunugangaルヌガンガ(『解読 ジェフリー・バワの建築』)
(バワと日本の建築)
ジェットウイング・ラグーンのバワスイート(1966年 『熱帯建築家』)吉村順三軽井沢山荘(1962年 『小さな森の家』建築資料研究室)
内部空間と外部の融合という点では、沖縄の建築も面白そうだ。