20年前、私は福島県三春町立歴史民俗資料館の初代学芸員(考古学)だった。大高正人さんは資料館の設計者だが、しばらくは挨拶する機会もなかった。三春ダムに伴う中世城館跡「西方館」の発掘調査をしていた時に、大高先生が遺跡を見に来て、私の説明を聞いた後で、同行した建設省の工事事務所長に「こういうものは壊すのでなく、活用した方がいいんじゃないですか」。この一声で、遺跡の保存が決まった。
その後、娘さんで建築家の真紀子さんと遺跡の活用計画を練った。真紀子さんに城館建物の復元を請われて、建築はずぶの素人だが、中世の絵巻をモデルに復元図を作った。報告書に掲載したこの復元図は、当時の考古関係者からは衝撃と言われるぐらいなかなかの出来であった。2~3年後、大高建築設計事務所が城館跡整備の実施設計をする際に、東京の事務所に呼ばれた。ところが待ち構えていた正人先生が、私の復元案を元に、「仲田さん、これでは雨漏りがする」と、トレッシングペーパーをちぎり、私の図面に重ねて、修正してくださった。
私は冷や汗と赤面でぐちゃぐちゃになりながらも、建築の門外漢の私に熱血指導してくれた正人先生の愛情を感じた。東大の建築の学生さんでもこれほどの指導を受けた人は珍しいであろう。
今日は三春町で、大高正人とまちづくりのシンポジュームだった。伊藤寛前町長が、「三春のまちづくりは私と大高さんが主導したかのように言われているが、それは間違いで、町民と協働してやってきたものだ」と強調した。また岩田司東北大教授は、「大高さんの建築は大屋根が特徴で固いが、唯一郷里の三春町歴史民俗資料館は優しいデザインだ」とコメントした。その歴民こそ私の元の職場であり、退職後20年も経っているのに、三春町のまちづくりのDNAが私にも組み込まれているのであろう、元三春町職員として、国見町、桑折町、須賀川市の国史跡整備委員や歴まち専門委員を務めている。

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左から、伊藤寛前三春町長、内藤忠元商工会長(町民参画)、長澤悟東洋大名誉教授(学校建築)、岩田司東北大教授(まちづくり)

長澤先生は、私の実家(石川町)に泊まっていただいたこともある。

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中島直人東大准教授

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