訳文は、esdiscoverから抜粋した。

枕草子

34段木の花

木の花は濃きも薄きも、紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。

仲田種苗園鷹ノ巣農場のヤマザクラ

四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめて(翌朝)などは、世になう心あるさまに、をかし。

梨の花、唐土(もろこし)には限りなき物にて、詩(ふみ)にも作る、なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、花びらの端にをかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。

桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木(ことき)どもとひとしう言ふべきにもあらず。

木のさまにくげなれど、樗(あうち)の花、いとをかし。かれがれに、様異(さまこと)に咲きて、かならず五月五日にあふも、をかし。センダン

37段 常緑樹

花の木ならぬはかへで。桂。五葉。

檀(まゆみ)、更にも言はず。そのものとなけれど、宿り木といふ名、いとあはれなり。

榊(さかき)、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。

楠の木は、木立多かる所にも、殊にまじらひ立てらず、千枝(ちえ)に分かれて、をかしけれ。(注)植え込み(木立)の中でも他と混じらず抜きんでてて

檜の木、また、け近からぬものなれど、五月に雨の声をまなぶらむも、あはれなり。

楓の木のささやかなるに、萌え出でたる葉末(はずえ)の赤みて、同じ方(かた)に広ごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの枯れたるに似て、をかし(楓の木はほっそりとしていて、春先に萌えでてきた葉先が少し赤らんで、同じ方向に広がった葉の様子、花もとても儚げな感じで、虫か何かが干からびているのにも似ていて面白い)イロハモミジの花

ねずもちの木、人なみなみなるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきが、をかしきなり。樗(おうち)の木。山橘(やまたちばな)。山梨の木。

椎の木、常盤木(ときわぎ)はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬ例(ためし)に言はれたるも、をかし。

白樫(しらかし)といふものは、まいて深山木(みやまぎ)の中にもいとけ遠くて、三位、二位の袍(うへのきぬ)染むる折ばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことに取り出づべくもあらねど、いつともなく雪の降り置きたるに見まがへられ、をりにつけても、一節あはれともをかしとも聞きおきつる物は、草、木、鳥、虫も、おろかにこそ覚えね(白樫という木は、深山に生える木の中でも特に私たちとは縁遠い木で、三位・二位の貴族の袍を染める時だけ、その葉っぱがわずかに人の目に触れるくらいだから、面白い木や素晴らしい木の中に特に持ち出すべきものではないけれど、その葉の白さはいつの季節でも雪が降っているような白さに見えて、何かの折に、その時に趣きがあるとか面白いとか思ったものは、草・木・鳥・虫でも疎かには思えないものだ。

注釈:(大辞泉官位によって定められたの袍。 養老の衣服令によると、一位は深紫、二位・三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹(ふかはなだ)、初位は浅縹)。

深紫はムラサキの根、浅紫はシラカシの葉、深緋は茜+紫の根、浅緋は茜、深緑は???? 仲田種苗園の自然樹形シラカシ

ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしけれど、をかし

柏木、いとをかし。

姿なけれど、椶櫚(すろ)の木、唐めきて、わるき家のものとは見えず。

62段

草は菖蒲(しょうぶ)。菰(こも)。葵(あおい)、いとをかし。神代よりして、さるかざしとなりけむ、いみじうめでたし。物のさまも、いとをかし。

沢潟(おもだか)は、名のをかしきなり。心あがりしたらむと思ふに。三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔。雪間(ゆきま)の若草。酢漿(かたばみ)、綾の紋にてあるも、異(こと)よりはをかし。

忍ぶ草、いとあはれなり。道芝、いとをかし。茅花(つばな)も、をかし。蓬(よもぎ)、いみじうをかし。

山菅(やますげ)。日かげ。山藍(やまあい)。浜木綿(はまゆう)。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅(あさぢ)、いとをかし。

蓮葉(はすば)、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏にたてまつり、実は数珠(じゅず)につらぬき、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なきころ、緑なる池の水に、紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅(すいおうこう)とも詩に作りたるにこそ。

唐葵(からあおい)、日のかげにしたがひて傾くこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ。さしも草。八重葎(やえむぐら)。つき草、うつろひやすなるこそ、うたてあれ。

64段

草の花は撫子(なでしこ)、唐(から)のはさらなり、大和のも、いとめでたし。女郎花(おみなえし)。桔梗(ききょう)。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壺すみれ(草の花は撫子(なでしこ)、唐のものは言うまでもないが、大和(日本)のものもとても立派である。女郎花(おみなえし)。桔梗(ききょう)。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壺すみれなども良い)。 日本文化を未来に繋ぐ野の花マット

竜胆(りんどう)は、枝ざしなどもむつかしけれど、異花(ことはな)どもの皆霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし(竜胆(りんどう)は枝の張り具合などがむさくるしいが、他の花々がみんな霜にやられて枯れてしまった中で、非常に派手な色彩で顔を覗かせている様子は、非常に趣きがある)。

萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよとひろごり伏したる。さ牡鹿のわきて立ちならすらむも、心異なり。八重山吹(やえやまぶき)。

夕顔は花のかたちも朝顔に似て、言ひ続けたるにいとをかしかりぬべき花の姿に、実の有様こそ、いとくちをしけれ。などて、さはた生ひ出でけむ。ぬかづきといふ物のやうにだにあれかし。されどなほ夕顔といふ名ばかりは、をかし。しもつけの花。蘆(あし)の花。

これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと、人言ふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。穂先の蘇枋(すおう)にいと濃きが、朝霧に濡れてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋の果てぞ、いと見所なき。色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなく散りたるに、冬の末まで頭の白くおほどれたるも知らず、昔思ひいで顔に風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ(この中に薄(すすき)を入れないのは、とても怪しい(とても納得できない)という人もいるだろう。秋の野原の情趣が漂う風情というのは、薄あってのものなのである。穂先が赤くなった薄が、朝露に濡れて風になびいている姿は、これほどに素晴らしいものが他にあるだろうか。しかし秋の終わりになると、本当に見所のないものになる。色々な色彩で咲き乱れている秋草の花が、跡形もなく散ってしまった後、冬の終わり頃に頭がもう真っ白に覆われてしまったのも知らずに、昔を思い出しながら風に顔を吹かれてゆらゆらと立っている、これは人間の人生にとても良く似ている。それに寄り添うような心があって、それを哀れと思っているのである)。