80万年前の第四紀更新世前期、南会津の火山群が大爆発して、火砕流が阿武隈川流域まで流れて、堆積して、凝灰岩の白河層を形成した。白河層は加工しやすく、風化に耐えるために、平安時代の摩崖仏にはじまり、中世の板碑などに利用されたが、石川町では特に明治大正には石造彫刻の名工が利用した。
小松寅吉(1844~1915)は、石川郡山形村(現石川町)出身。高遠藩を脱藩して浅川村福貴作で活動していた名石工小松理兵衛の養子となり、躍動的な狛犬など独自の境地を開いた。
■ 川田神社(中島村川原田) 明治25(1892)年作
■鹿島神社(白河市下野出島)明治36(1903)年の作
小林和平は、明治14年(1881年)7月13日 – 昭和41年(1966年)3月8日)
石川郡沢井村生まれ(現福島県石川町)。
小松寅吉の弟子。
3人の実子を失くし、狛犬の3匹の子獅子には子を慈しむ想いが表現されていると言われる。
確かに素人目にも、寅吉の狛犬の力強さに対して、和平には優しさを感じる。
石川町の石都々古和気神社の狛犬は、昭和5(1930)年和平48歳の作。一色鐘鋳神社、古殿八幡宮の狛犬と共に和平の代表作。
■ 古殿町八幡神社 昭和7(1932)年 和平51歳
■一色鐘鋳神社(棚倉町) 昭和9(1934)年、和平53歳の作。一色村は和平のナカの故郷で、狛犬の奉納者の一人がナカの父。