いしかわ桜谷 NPO法人 ふくしま風景塾
福島県内の広告業界で最高の権威と伝統を誇る第51回福島民報広告大賞において、「NPOふくしま風景塾」の制作広告が、カラーの部で金賞に選ばれました。審査会は、東京都内のホテルで11月20日に行われ、クリエィティブディレクターの箭内道彦氏、電通第一CRプランニング局クリエィティブディレクターの村松秀俊氏、福島民報社の矢森真人取締役広告局長が審査員を務め、2011年10月1日から2012年9月末までに福島民報に掲載された広告の中から審査が行われました。
基本構想
「いしかわ桜谷」基本構想
1.日本三大名桜地域
写真家竹内敏信氏は、日本全国の桜を長年撮影していて、多くの写真集を刊行している。竹内氏によれば、本当の桜の名所は、奈良県の全域、長野県の全域、そして福島県の中通地方である。この3地域は、地域の人達が、昔から桜を愛でていて、そこに行けば名桜に出会えるという。 福島県中通り地方、特に郡山盆地以南の県中、県南地方には、エドヒガンザクラとその変種であるシダレザクラの名木が多い。また石川町も、エドヒガンザクラの「高田桜」(県指定天然記念物)やシダレザクラの「安養寺の桜」(沢井地区)などの名木が残されていて、地元で愛されている。 まずは、石川町が日本三大名桜地域に位置し、町内に多くの桜の名木が残されていることに、自信と誇りをもつべきである。
2.江戸時代の俳人が読んだ「桜谷」
「静けさや 散りすましたる 桜谷」
この俳句は、寛政六年(1794)に死去した、石都々和気神宮司吉田紀光(俳号・露珊)の墓碑に刻まれたものである。 石川町の市街地を流れる北須川と今出川流域は、四方を山に囲まれている。江戸時代には、町家や山の斜面に、エドヒガンザクラやシダレザクラが多く有り、「桜谷」の様相を呈していたものと推定される。
3.コンセプト「いしかわ桜谷」
北須川と今出川流域と周囲の山に囲まれた谷は、狭く小さい。現在両流域には、昭和20年代に町役場の有志がソメイヨシノを植栽して以来、現在も地元の努力で、桜並木の延長は伸びていて町の景観の中心となっている。さらに今後山側に、この地域の固有種であるエドヒガンザクラやシダレザクラを植栽すれば、河川沿いのソメイヨシノ並木と相乗した、立体感のあるダイナミックでしかも美しい、「桜谷」を創出できる。
今回のコンセプトである「いしかわ桜谷」は河川沿いの桜並木と山側の桜を相乗させるということによって、江戸時代に俳句に詠まれた「桜谷」を今日的に再生して、まちづくりの基軸とする構想である。さて、県内の桜の名所を見ると、三春町の滝桜(シダレザクラ)や古殿町の越代の桜(ヤマザクラ)など一本桜や小野町の千本桜(ソメイヨシノ)などの桜並木は多くの観光客を集客している。石川町の市街地を構成する谷は狭く小さい。これは、観光としては、きわめて有利な地理条件となる。観光客は、河川沿いの桜並木越しに山斜面の桜を仰ぎ見たり、逆に山側から鳥瞰したりというように、一本桜や桜並木では体験できない、立体感のある雄大な桜の花景色を楽しむことができる。特に、山の上から、斜面の桜や河川沿いの桜並木を見渡すという景観は、他では見られないダイナミックなものとなる。また川から山へ、徒歩で回遊できる距離(ヒューマンスケール)であるのも大きな魅力である。すなわち「いしかわ桜谷」は、一本桜(点)や桜並木(線)より、面的かつ立体的に展開することによって、ダイナミックな桜の景観を創出しようとするものである。これは、広域的には日本三大名桜地域の中核となる可能性がある。また川から山へ回遊する町家(市街地)のルートに郷土食や特産物を提供する休み処などを工夫すれば、訪れる人の満足感はさらに大きくなる。
4.「いしかわ桜谷」の光と強み
観光=「光を観る」ということでは、今後の「いしかわ桜谷」基本計画策定(計画地の設定等)において、「いしかわ桜谷」の光、言い換えれば「強み」の再認識が重要である。「いしかわ桜谷」の強みをまとめてみよう。
- 江戸時代に桜谷と謡われた歴史がある(高い潜在能力と将来への可能性)
- 地元の人々が60年かけて愛着を持ちながら川沿いに植栽してきたソメイヨシノ並木という景観の基軸が存在する(ゼロからの出発ではなく、山側桜との相乗効果)。
- 狭まく、小さな谷という立地条件は、立体的でダイナミックな桜の景観を創出できると同時に、川から町家(市街地)・山への徒歩での回遊が可能であるために、町家での郷土食や特産品による観光客への石川らしい「もてなし」が可能となる。