1938(昭和13)年、福島県石川町中田区の有志は、小学校高等科の生徒が遠距離通学を強いられている現状を打破するために、決起した。
村当局の反対を押し切って、自主的に「中田義塾」を運営。
 私の祖父仲田美種は1908(明治41)年生まれで、当時30歳の若さながら、副塾頭を務めた。
 中田義塾は、中谷第2小学校の前身となる。
 1991(平成3)年、中2小は当時珍しかった木造建築、しかも既存の2階建てから平屋の両翼として、移転改築された。私の父仲田茂が58歳の時に改築促進委員長として、地元の有志とともに、当時の石川営林署長、後の林野庁長官島田泰助氏と協働して、「耐久性」から鉄筋コンクリート造に固守する町当局を説得して、木造校舎を実現した。町は既存の2階建てを平屋に変更するにあたって、建築面積の増加に伴う移転用地などの諸問題を地元で解決するならばと妥協した。地元を取りまとめた父は現在84歳であるが、「建築面積は1800平方m。地元から寄付した土地は3015㎡」など、詳細に記憶している。中2小は、2015年に廃校となったが、築25年にして美しく経年変化している。また平屋両翼は、使い勝手が良いとして再評価されている。一方同じ時期に建築された鉄筋コンクリート造3階建ての他の校舎は、当初は耐久性に優れていると期待されたにもかかわらず、老朽化が著しく、また3階建て構造が利活用を難しくしている。
 私は、現在父が創業した種苗会社を経営するとともに、NPO法人ふくしま風景塾を主宰している。千葉大学などと連携しながら、旧中2小と地域資源を繋ぐトレイル開発などのランドスケープ計画を進めている。
 私は特に大震災後は何かに突き動かされるように活動してきて、風景塾は日本造園学会関東支部やJCいわき石川青年会議所などと協働してきたが、これも私に引き継がれた中田義塾の精神の発露であると、最近自覚している。


祖父 仲田美種