■ 近江八幡

□八幡堀

豊臣秀次は、八幡山に居城を築き、城下には人工の八幡堀を穿ち、安土城下から住民を移住させて町を作りました。
八幡堀は、西の湖、長明寺川を経由して琵琶湖に繋がります。
江戸時代は舟運として利用されました。
しかし第2次世界大戦以後は、あまり使用されなくなって、生活排水が流れ込み、ヘドロが堆積して悪臭を放ちました。
そこで行政は、埋め立てを計画しました。
昭和の終わり頃、地元の若い経営者たちが立ち上がり、川を掃除、それに多くの市民が共感した結果、埋め立ては中止、景観が再整備されました。
数年前には、八幡堀、西の湖、長明寺川周辺が「近江八幡の水郷」として、国の重要文化的景観に指定されています。
□旧西川家住宅(国指定重要文化財)。
江戸時代の西川家は、琵琶湖特産の麻を蚊帳、イグサを畳表に加工製造し、江戸、京都、大阪に店を構えて販売しました。
現存する建物は、宝永3年(1706)に建築されました。
板壁の堂々とした商家です。
西川家の家訓
先義後利栄
(義を先にして利益を後にすれば栄える)。

店の入り口 左側は店、右側は下店

勝手口

天井が高い台所土間

座敷から眺める庭園

3層の土蔵

□焼き杉板壁

□ナグリ板塀

■橿原市今井町重要伝統建造物群

□寺内町

今井町は、一向宗の「寺内町」で、濠と土塁を防御施設とした城郭のような構造をしています。

□旧米谷家住宅

米谷家は金具商を営んでいた。住宅は18世紀中頃

入口左側が店、右側が下店

「なかのま」と「なんど」

「にわ」と呼ぶ広い台所の土間と高い天井

井戸を中心とした庭は機能的。井戸を覗くと、地下水位が豊富さがわかる。

蔵前座敷

□焼き杉板と漆喰

土壁を芯にして、焼杉板と漆喰の使い分け方が絶妙

■奈良町

□奈良町家の基本平面(「奈良町家の基礎知識」より)

短冊状の敷地に、母屋、中庭、離れ、裏、蔵を配置して、通り庭で繋ぎます。

□奈良町にぎわいの家

大正6(1917)年、美術商が建築した商家。

奈良町家の一般的な配置とは異なり、建物と庭を分断せずに、対置させています。

入口の待合から茶室、さらに露地のように進み、離れで一服という造園か。また各部屋から庭が眺められるようになっています。

通り庭のカマド

待合

母屋沿いの庭

離れの井戸

離れから庭を臨む